ミディアムシップやミディアムについて話すと「怖くないですか?」「重くなったりしませんか?」と聞かれることがしばしばあります。
多くの人にとって霊界とはややオカルトじみた世界であり、決してスピリチュアル否定派ではない人であっても、霊媒(ミディアム)と聞くと霊障や憑依や除霊や浄霊や未成仏の霊(!?)や水子の祟りや先祖の怒り(?)などと結び付けてイメージされるようです。
おそらく日本の霊媒のイメージが昔からそうだからだと思います。
自分自身を振り返ってみると、スピリチュアルに大して関心のなかった頃からこうした死後の世界のイメージはピンと来ませんでした。また、私が関わる世界ではないとわかっていました。何にでも興味のあった高校生の頃にエリザベス・キューブラー・ロスのことを知り、彼女の本を1冊読んで「ああ、これは知っている。私の理解できる“向こう側の世界”とはこういうこと」と親しみを感じたことを覚えています。
その後アロマセラピストを目指し、もともとユングとかシュタイナーとか好きでしたが次第にスピリチュアルにも心を開くようになった頃にあらためてロス博士の本を熱心に読みこんだのでした。そしてジェームズ・ヴァン・プラグのようないわゆる欧米のミディアム達の仕事を知り、なんと素晴らしい探求であり仕事であろうと感動したのでした。
最終的に私はホリスティック療法ではなくスピリチュアルのほうに導かれたわけですが、今感じるのは人々の意識も時間とともに変化していくということです。
昔は「天使」と聞くと、キリスト教徒でもないのにお願いしていいのでしょうかとしばしば聞かれましたが、今はそのようなことを尋ねられることはなくなりました。最近ではオラクルカードで描かれているような、「人間に翼がついた」姿で天使を視る人は非常に減ってきました。10年前はそのような姿で天使を視ることを多くの人が熱望していたのに、最近では「そもそも天使は人間のスピリットではないのだから、そのような姿で見る必要はない」ということが本当に自然に人々の意識に浸透してきていると感じます。
このような経験から、私はやがて日本の多くの人にも霊界の愛あふれる側面が浸透していくとわかっています。恐れのほうが確かに声は大きいけれど、愛のほうが魂に結びつき最後まで残る“声”であり、強力なのです。愛が浸透していけば、死後に彷徨う霊も減っていくのかも知れませんね。
声高に叫ばなくてもただシンプルに愛にフォーカスして、淡々と続けていけば、やがて時代とともに意識は変わり、「怖くないですか?」とほとんど聞かれない時代がやってくるでしょう。勿論この世界を一色の思想で染めることは不可能ですし、それを目指しているわけではないですが、やがてそのようになっていくと魂の深いところで私はわかっており、そのための本当に小さな小さな一担として、自分のできることをやってみるだけという感じです。