DMT 精神の分子 -臨死と神秘体験の生物学についての革命的な研究

最近読んだ本です。私は俗に言う“トリップ”には興味がないし、麻薬や幻覚剤を体験したい欲求もないのですが(自分には必要ない)、DMTのもたらす体験、作用というものは一体何なのか!? にはとても関心があるので読んでみました。

 

実際非常に興味深く、考えさせられる内容でした。DMTとはN・N-ジメチルトリプタミンの略で、これは人間の体内でも作られる幻覚性物質ですが、私はDMTと聞くとアヤワスカという南米のシャーマン達が用いる薬草の主成分であることを思い出します。

 

最近日本のインフルエンサー達が南米まで行き(またはヨーロッパなどのリトリートセンターで)、この薬草で得た体験についてyoutubeで積極的に語っています。

 

多くの人が語るのは、儀式のなかでアヤワスカを煎じたお茶を飲むと、心・体・魂の全ての領域に強烈な浄化と目覚めが起こる。点滅する幾何学模様や万華鏡のようなビジョンを見たり、死の瞬間を体験したり、「向こう側」の存在達と出会ったりもする。美しい体験も恐ろしい体験もする。

 

アヤワスカを通して得られる体験は、見たかったものや知りたかったことについての答えが得られるものではなく、見る必要があるものや知るべきことがわかる。その衝撃的な体験によって、自分の自我がいかにちっぽけな足かせとなっていたかに気づく‥そんなことを語る人が多いように思います。

 

この本では精神科医でもある著者がアメリカの大学病院内で60人のボランティアにDMTを注射し、その反応の記録によってわかったことや著者の考えをまとめたものです。また幻覚剤の研究という、なかなか困難が多そうな道のりで著者が体験した様々なことも書かれています。

 

最後まで読み終わって私が感じたことは、結局のところ南米のシャーマン達が一番この成分の取り扱いをわかっているのではないか!? ということです。

 

ベッドに横になって注射されて得る体験よりも、人生の困難に遭遇し、苦しみのなか決意し大変な思いをして南米まで足を運び、シャーマンのもとで祝福と浄化の儀式を受け、愛と保護の感覚のなかでミーティングが行われセレモニーとして得る体験では、心の決意も環境も全く違います。そういう副次的な側面こそ実はとても重要なのかなと思いました。またこの薬草は神聖なものとしてシャーマンのもとで厳重に管理もされているのです。

 

DMTによって得られた体験がどのようなものであっても、それは体験に過ぎず、そこで大きな癒しや気づきにつながるような体験をしたとしても、それらの体験によってセラピーやカウンセリングに通うような変化を人々にもたらしたわけでもなく、悪夢のような体験をした場合も、数十分もたてば体験を語りながらケロッと普通に食事を採れたりもするようで、またやはり色々と幻覚剤を扱う研究は難しい側面もあるのを思うと、DMTの体験がどのように人々に影響を与えるかは、地道な宗教的鍛錬を通して得られるエンライトメントとは深さや質が違うと感じました。それは結局のところ、この成分とは無関係なところにある「その人次第」なようにも思いました。

 

しかしDMTによる幻覚体験で多くの人が宇宙人に遭遇するのは著者も困惑してしまったようで、これは何なのかを考えていくとどうしてもエイリアンアブダクションなどトンデモ系の世界(医師ならそう思うはず)は何なのかについて考えることになっていくようです。ボランティア達の語る体験は心理学的なメタファーと簡単に片付けられないもので、もしかしたら平行宇宙(パラレルワールド)による体験なのかも知れないと書かれています。